NBA RE-DRAFT Vol.5

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70年代までやってきてしまいました。どこまでやりましょう!?


【1979年ドラフト】

マジック・ジョンソン(←①)

 19.5点/7.2R/11.2A/FG52.0%

②クリフ・ロビンソン(↑⑪)

 17.2点/8.3R/2.0A/FG46.8%

③カルビン・ナット(↑⑧)

 17.2点/6.8R/2.2A/FG52.8%

シドニー・モンクリーフ(↑⑤) 

 15.6点/4.7R/3.6A/FG50.2%

ビル・レインビア(↑65) 

 12.9点/9.7R/2.0A/FG49.8%

⑥ビル・カートライト(↓③)

 13.2点/6.3R/1.4A/FG52.5%

⑦ジム・パクソン(↑⑫) 

 14.3点/2.0R/2.9A/FG49.8%

⑧ビニー・ジョンソン(↓⑦) 

 12.0点/3.2R/3.3A/FG46.4%

⑨デイブ・グリーンウッド(↓②) 

 10.2点/7.9R/2.0A/FG47.7%

⑩ジョニー・ムーア(↑㊸) 

 9.4点/3.0R/7.4A/FG46.0%

 

この年は、マジック・ジョンソン一択でした。

マジックは2年生で1位指名されましたが、4年生以外で1位指名されたのはマジックが初だったそうです。

ただ気になったのが、82年で紹介したマーク・イートンがこの79年にもドラフトされていたことでした。

なんでかな?と思って調べてみたところ、その経歴を見て驚愕しました。

224cm・132kgの巨人でありながら、高校では水球をやっていて、卒業後は自動車整備工として働き、バスケとは無縁の生活を送っていたそうです。

そんなある時、車の修理に来たコミュニティカレッジのアシスタントコーチが、偶然この大巨人を”発見”したんですね。

本格的なプレー経験がない、無名の短大1年生だったイートンが、いきなりドラフト指名されたのが、この79年のドラフトでした。

しかし、その時はプロ入りせずにカレッジに残り、その後名門UCLAへとトランスファーします。

そしてUCLA卒業時の82年に再びドラフトされ、ジャズへ入団。

1年目からブロック数でフランチャイズ記録を更新すると、2年目にはリーグのブロック王に輝き、チーム創設以来初のプレーオフ進出に貢献。

3年目には、NBA記録となる平均5.6ブロックをマーク。

2位の選手に倍以上の差をつけるぶっちぎりの数字を残しました。

26才でNBA入りした遅咲きの巨人は、キャリア通算でも平均3.5ブロックをマークし、こちらもNBA史上最高記録となっています。

 

 

【1978年ドラフト】

①ラリー・バード(↑⑥)

 24.3点/10.0R/6.3A/FG49.6%

②レジー・セウス(↑⑨)

 18.5点/3.3R/6.3A/FG47.1%

③マイケル・レイ・リチャードソン(←③)

 14.8点/5.5R/7.0A/FG45.7%

④マイク・ミッチェル(↑⑮) 

 19.8点/5.6R/1.3A/FG49.3%

⑤パービス・ショート(←⑤) 

 17.3点/4.3R/2.5A/FG47.4%

⑥マイカル・トンプソン(↓①)

 13.7点/7.4R/2.3A/FG50.4%

⑦モーリス・チークス(↑㊱) 

 11.1点/2.8R/6.7A/FG52.3%

⑧フィル・フォード(↓②) 

 11.6点/1.8R/6.4A/FG46.7%

⑨ジョン・ロング(↑㉙) 

 13.6点/2.8R/1.9A/FG46.7%

⑩フリーマン・ウィリアムス(↓⑧) 

 14.7点/1.6R/1.6A/FG46.7%

 

この年は、ラリー・バードがダントツでした。

ただ、この年に3年生としてドラフトされたものの、NCAA優勝を目指すためにカレッジに戻る意向を示していました。

本当はこの年、1位指名権を持っていたのはバードの故郷であるインディアナ・ペイサーズでした。

しかし、指名してもNBAに来てもらえないと諦め、ブレイザーズに1位指名権を譲渡。

1位のブレイザーズや、3位のペイサーズが指名を回避する中、賭けに出たのがセルティックスでした。

セルティックスは6位で強行指名しましたが、契約交渉は難航し、結局1年間は棒を振ることに。

ただ、翌年のドラフトが来てしまうと、前年に指名した権利がチャラになってしまうため、翌年のドラフト直前に当時の新人最高額となる破格の5年契約を結び、ようやく契約にこぎつけたそうです。

バードがなぜ6位指名だったのか、そしてなぜルーキーシーズンが1年後だったのかという謎は、こういうことだったんですね。

 

 

【1977年ドラフト】

①バーナード・キング(↑⑦)

 22.5点/5.8R/3.3A/FG51.8%

②マーキス・ジョンソン(↑③)

 20.1点/7.0R/3.6A/FG51.8%

③ウォルター・デイビス(↑⑤) 

 18.9点/3.0R/3.8A/FG51.1%

④オーティス・バードソング(↓②)

 18.0点/3.0R/3.2A/FG50.6%

⑤ジャック・シクマ(↑⑧)

 15.6点/9.8R/3.2A/FG46.4%

⑥ノーム・ニクソン(↑㉒) 

 15.7点/2.6R/8.3A/FG48.3%

⑦レイ・ウィリアムス(↑⑩) 

 15.5点/3.6R/5.8A/FG45.1%

エディ・ジョンソン(↑㊾) 

 15.1点/2.3R/5.1A/FG47.6%

⑨セドリック・マクスウェル(↑⑫) 

 12.5点/6.3R/2.2A/FG54.6%

⑩ジェイムズ・エドワーズ(↑㊻) 

 12.7点/5.1R/1.3A/FG49.5%

 

1977年は、NBAとABAが統合されて初めてのドラフトとなりました。

ABAから、ナゲッツペイサーズ、ネッツ、スパーズの4チームが加わっています。

この年は、ニックスで得点王にも輝いたバーナード・キングがトップでした。

3P成功率歴代3位のヒューバート・デイビスの叔父にあたる、ウォルター・デイビスも3位にランクインしています。

変わり種でいくと、7巡目137位にルシア・ハリスという女性がドラフト指名されています。

この時代は8巡目とか10巡目まで指名権があったので、ちょっと目立つ存在にはどんどんアプローチしていく姿勢が見えますね。

日本人の岡山さんが指名されたのもそういう流れからでしょうし、陸上のカール・ルイスが指名されたりしたのも、まさにこの時代を象徴しているなあと思います。

 

 

【1976年ドラフト】

①エイドリアン・ダントリー(↑⑥)

 24.3点/5.7R/3.0A/FG54.0%

②アレックス・イングリッシュ(↑㉓)

 21.5点/5.5R/3.6A/FG50.7%

ロバート・パリッシュ(↑⑧) 

 14.5点/9.1R/1.4A/FG53.7%

デニス・ジョンソン(↑㉙)

 14.1点/3.9R/5.0A/FG44.5%

⑤ジョニー・デイビス(↑㉒)

 12.9点/2.0R/4.5A/FG44.8%

⑥ジョン・ルーカス(↓①) 

 10.7点/2.3R/7.0A/FG44.9%

⑦ロニー・シェルトン(↑㉕) 

 12.0点/6.1R/2.2A/FG49.2%

⑧ミッチ・カプチャック(↑⑬) 

 10.2点/5.4R/0.7A/FG52.3%

⑨スコット・メイ(↓②) 

 10.4点/4.1R/1.7A/FG46.2%

⑩ボブ・ウィルカーソン(↑⑪) 

 10.1点/4.2R/3.4A/FG42.5%

 

ABA統合前のこのシーズンは、まだ18チームしかありませんでした。

後にセルティックスで活躍するロバート・パリッシュは、21年間43才まで現役を続け、"長老"いや"酋長"というニックネームで知られました。

パリッシュはセルティックスでラリー・バードとともに3度の優勝を遂げ、最後の96-97シーズンはブルズでもう1度チャンピオンに輝きました。

デニス・ジョンソンも、シアトル・スーパーソニックスで1度、セルティックスで2度チャンピオンに輝き、ファイナルMVPも1度獲得しています。

ミッチ・カプチャックは、前レイカーズGMで、現在はホーネッツのGMを務めています。

スコット・メイはインディアナ大でNCAA優勝していますが、息子のショーン・メイもノースカロライナ大でNCAA優勝を果たし、親子2代で大学優勝を果たしています。

 

 

【1975年ドラフト】

①デイビッド・トンプソン(←①)

 22.1点/3.8R/3.2A/FG50.4%

②ワールド・B・フリー(↑㉓)

 20.3点/2.7R/3.7A/FG45.6%

③ガス・ウィリアムス(↑⑳) 

 17.1点/2.7R/5.6A/FG46.1%

④ダン・ラウンドフィールド(↑㉘)

 15.2点/9.7R/2.2A/FG48.5%

⑤アルバン・アダムス(↓④)

 14.1点/7.0R/4.1A/FG49.8%

⑥ダリル・ドーキンス(↓⑤) 

 12.0点/6.1R/1.3A/FG57.2%

⑦リッキー・ソバーズ(↑⑯) 

 13.3点/2.6R/4.3A/FG45.9%

⑧ジュニア・ブリッジマン(←⑧) 

 13.6点/3.5R/2.4A/FG47.5%

⑨ライオネル・ホリンズ(↓⑥) 

 11.6点/2.4R/4.5A/FG44.4%

⑩ウィルバー・ホランド(↑75) 

 13.6点/3.1R/3.3A/FG45.2%

 

トップのデイビッド・トンプソンは、ホークスから1位指名を受けましたが、同時にABAのナゲッツからも1位指名を受け、ABAに行くことを選びました。

その後1シーズンでABAはNBAと統合されることになりましたが、NBAのドラフト指名を蹴ってABAを選択したNo.1ピックはトンプソンが唯一だそうです。

5位で指名されたダリル・ドーキンスと、19位で指名されたビル・ウィロウビーは、高卒から直接NBA入りした最初の選手となりました。(それ以前に高卒プレイヤーとして知られたモーゼス・マローンは、ABAでキャリアをスタートしたため)

9位指名のライオネル・ホリンズは、元グリズリーズのHCとしても知られています。

また、この年の14位で、コービー・ブライアントのパパ、ジョー・ブライアントが指名されています。

 

 

【1974年ドラフト】

①ジョージ・ガービン(↑㊵)

 26.2点/4.6R/2.8A/FG51.1%

②ジョン・ドリュー(↑㉕)

 20.7点/6.9R/1.7A/FG47.0%

③ビル・ウォルトン(↓①) 

 13.3点/10.5R/3.4A/FG52.1%

④ジャマール・ウィルクス(↑⑪)

 17.7点/6.2R/2.5A/FG49.9%

⑤トラック・ロビンソン(↑㉒)

 15.5点/9.4R/1.7A/FG48.3%

モーリス・ルーカス(↑⑭) 

 14.4点/8.8R/2.3A/FG47.3%

⑦ブライアン・ウィンタース(↑⑫) 

 16.2点/2.6R/4.1A/FG47.5%

⑧キャンピー・ラッセル(←⑧) 

 15.8点/4.8R/3.0A/FG45.9%

⑨ビリー・ナイト(↑㉑) 

 15.7点/4.5R/2.1A/FG50.6%

⑩フィル・スミス(↑㉙) 

 15.1点/3.0R/3.9A/FG47.6%

 

ジョージ・“アイスマン”・ガービンは、最初の5シーズンをABAで過ごした後、NBAに合流。

得点王を4度獲得するなど、正確無比な点取り屋として活躍しました。

No.1ピックのウォルトンは、3年目のシーズンに早くも優勝を果たし、ファイナルMVPに輝きました。

翌年はシーズンMVPも獲得しましたが、その後は度重なるケガに悩まされました。

しかし、キャリア晩年に6thマンとして再びセルティックスでチャンピオンとなりました。

また5位指名を受けたボビー・ジョーンズは、最初の2シーズンをABAで過ごした後、NBAに合流。

8年連続でオールディフェンシブ1stチーム入りするなど、ディフェンスの名手として知られました。

83年にはシクサーズで優勝を果たし、6thマン賞も受賞しています。

 

 

【1973年ドラフト】

①ジョージ・マギニス(↑㉒)

 17.2点/9.8R/3.8A/FG44.8%

②ラリー・キーノン(↑㊿)

 17.0点/7.8R/2.6A/FG48.9%

③ダグ・コリンズ(↓①) 

 17.9点/3.2R/3.3A/FG50.1%

④ジョン・ウィリアムソン(↑96)

 20.1点/2.5R/2.8A/FG44.9%

⑤スウェン・ネイター(↑⑯)

 12.2点/10.8R/2.0A/FG53.7%

⑥ジム・チョーンズ(↑㉛) 

 12.3点/8.3R/1.7A/FG46.8%

⑦マイク・バントム(↑⑧) 

 12.1点/6.4R/2.3A/FG46.8%

カーミット・ワシントン(↓⑤) 

 9.2点/8.3R/1.4A/FG52.6%

⑨ロン・ビヘイゲン(↓⑦) 

 10.3点/7.0R/1.6A/FG42.5%

⑩レナード・グレイ(↑㊺) 

 10.8点/5.2R/2.2A/FG46.9% 

 

この年は、後にHCとして活躍する選手が多い年でした。

ブルズやピストンズのHCとして知られるダグ・コリンズは、この年のNo.1ピックとしてシクサーズに指名されました。

また20位では、現ロケッツHCのマイク・ダントーニが指名されています。

続く21位でも、フューチャー・ブルズと呼ばれた頃のホーネッツを指揮したアラン・ブリストウが。

そして66位では、シアトル・スーパーソニックスで一時代を築いたジョージ・カールが指名されています。

76位のM・L・カーも、後にセルティックスでHCを務めています。

 

 

【1972年ドラフト】

①ボブ・マッカドゥー(↑②)

 22.1点/9.4R/2.3A/FG50.3%

ジュリアス・アービング(↑⑫)

 22.0点/6.7R/3.9A/FG50.7%

③ポール・ウェストファル(↑⑩) 

 15.6点/1.9R/4.4A/FG50.4%

④ケビン・ポーター(↑㊴)

 11.6点/1.8R/8.1A/FG48.3%

⑤ロイド・ニール(↑㉛)

 11.1点/7.7R/1.5A/FG48.5%

⑥ジェイムズ・サイラス(↑70) 

 14.2点/2.1R/3.4A/FG48.5%

ブライアン・テイラー(↑㉓) 

 12.3点/2.4R/4.5A/FG48.7%

⑧ジム・プライス(↑⑯) 

 10.0点/3.1R/3.7A/FG44.4%

⑨スティーブ・ホウズ(↑㉔) 

 8.4点/6.2R/1.9A/FG48.3%

⑩クリス・フォード(↑⑰) 

 9.2点/3.0R/3.4A/FG46.0% 

 

マッカドゥーは、得点王3回、優勝2回、MVP1回という輝かしいキャリアを送りました。

“ドクターJ”ことジュリアス・アービングは、最初の5シーズンをABAで過ごし、その間の平均は28.7点・12.1Rという素晴らしいスタッツでした。

ただ、ここではNBA加入後の成績しかカウントしていないため平均は下がりましたが、本来ならトップとなっていたでしょう。

ポール・ウェストファルは、チャールズ・バークリーを擁した絶頂期のサンズのHCとして知られていますが、選手としても一流でした。

17位指名のクリス・フォードは、90年代にセルティックスのHCとして指揮を執りました。

 

 

【1971年ドラフト】

①スペンサー・ヘイウッド(↑㉚)

 19.2点/9.3R/1.8A/FG46.5%

②アーティス・ギルモア(↑117)

 17.1点/10.1R/2.0A/FG59.9%

シドニー・ウィックス(↓②) 

 16.8点/8.7R/3.2A/FG45.9%

④ランディ・スミス(↑104)

 16.7点/3.7R/4.6A/FG47.0%

エルモア・スミス(↓③)

 13.4点/10.6R/1.4A/FG48.2%

⑥フィル・チェニアー(※④)

 17.2点/3.6R/3.0A/44.4%

⑦マイク・ニューリン(↑㉔) 

 14.9点/3.0R/4.0A/FG46.6%

⑧オースティン・カー(↓①) 

 15.4点/2.9R/2.8A/FG44.9%

⑨フレッド・ブラウン(↓⑥) 

 14.6点/2.7R/3.3A/FG47.8%

⑩カーティス・ロウ(↑⑪) 

 11.6点/7.2R/1.6A/FG48.2%

 

71年は本ドラフトは別に、追加の“ハードシップ・ドラフト”なるものがありました。

この時代、まだアーリーエントリーは認められておらず、大学を卒業してからドラフトにかからなければいけなかったんですが、経済的に苦しく、すぐにでもプロになりたい学生のために、特別なドラフトを開いた、というわけです。

そのハードシップ・ドラフトで4位指名されたチェニアーが、6番目にランクインしています。

翌72年からは「ハードシップ・ルール」が適用され、経済的に苦しいことを証明する条件でアーリーエントリーが認められるようになりました。

 

 

【1970年ドラフト】

①ピート・マラビッチ(↑③)

 24.2点/4.2R/5.4A/FG44.1%

②ボブ・レニアー(↓①)

 20.1点/10.1R/3.1A/FG51.4%

③デイブ・コーウェンス(↑④) 

 17.6点/13.6R/3.8A/FG46.0%

④ダン・イッセル(↑122)

 20.4点/7.9R/2.5A/FG50.6%

⑤ジョフ・ペトリー(↑⑧)

 21.8点/2.8R/4.6A/FG45.5%

⑥タイニー・アーチボルド(↑⑲)

 18.8点/2.3R/7.4A/46.7%

⑦ルーディ・トムジャノビッチ(↓②) 

 17.4点/8.1R/2.0A/FG50.1%

⑧チャーリー・スコット(↑106) 

 17.9点/3.6R/4.8A/FG44.4%

⑨カルビン・マーフィー(↑⑱) 

 17.9点/2.1R/4.4A/FG48.2%

⑩サム・レイシー(↓⑤) 

 10.3点/9.7R/3.7A/FG44.1%

 

この1970年は、歴代のドラフトの中でも最も優秀な1つかもしれません。

合計12人のオールスター選手を排出し、そのうち8人が殿堂入りを果たしています。

天才ピストル・ピートは、現代でも驚くボールさばきで“コート上の魔術師”と呼ばれました。

また、コーウェンス、イッセル、トムジャノビッチは、その後HCとしても長く活躍しました。

ジョフ・ペトリーはキングスのGMも務めました。