あぁ・・・・・・
ついにこの時がやってきてしまいました。。。
個人的に僕がいっちばん好きな選手がコートを去りました。
エマニュエル・ジノビリ
ダンカン、パーカーとのBIG3で、スパーズを常勝チームにしたことでおなじみですが、今ではすっかり定番となったユーロステップをNBAにもたらした功績の方が大きいかもしれません。
No.1の使い手であるハーデンも、ジノビリのプレーを真似して練習したと公言しています。
そんなオリジナリティ溢れる独特の動きや、センスの塊のようなクレバーなプレースタイルは、誰かに教わってできるものではなく、唯一無二の存在でした。
ナンバーワンでなく、オンリーワンってやつですね。
最初にジノビリの存在を強烈に意識したのは、2002年にインディアナポリスで開催された世界選手権でした。
1992年バルセロナオリンピックの初代ドリームチーム結成以来、NBA選手で構成されたアメリカ代表チームは、オリンピックや世界選手権といった国際大会でまだ1敗もしていませんでした。
そんな無敵と思われたアメリカ代表を史上初めて破ったチームが、ジノビリ率いるアルゼンチン代表でした。
当時のアメリカ代表は、若手主体で構成されていたとはいえバリバリのNBA選手ばかりです。
誰も勝てないと思っていた当時の論調を蹴散らし、アメリカ代表に土をつけたのは、かなり衝撃的な出来事で、文字通り世界をアッと言わせました。
特にエースであったジノビリのプレーは、テクニックとセンスが抜群で、勝負どころでビッグプレーを連発するハートの強さもピカイチでした。
この時以来すっかり虜になり、アルゼンチン代表の5番のジャージーを海外のネット販売サイトから取り寄せたぐらいでした(笑)
この大会は最後に足首を捻挫してしまい惜しくも準優勝となりましたが、ジノビリが決勝もプレーしていたらおそらく優勝していたでしょう。
この世界選手権での大活躍の後にNBA入りし、スパーズでのキャリアをスタートさせました。
元々ドラフトされたのは、その3年前の1999年でしたが、指名順位は最後から2番めの2巡目57位でした。
当時はまだまだ外国人選手はNBAで通用しないと思われていた時期で、スパーズの先見の明にはいつも驚かされます。
(そしてこの世界選手権直前の2002年ドラフトでは、ルイス・スコーラをやはり2巡目の最後から3番目で指名しています)
そして、先の世界選手権で惜しくも銀メダルに終わった悔しさは、次の2004年のアテネオリンピックで、早くも晴らされることになります。
2002年の世界選手権で6位と惨敗に終わったアメリカ代表は、オリンピックでコケるわけにはいかないとアイバーソンやダンカンといったスター選手を送り込んできました。
ただシャックやコービー、KGやキッドといった大物は参加を見送り、またも若手主体のチーム構成となりました。
ただここでもジノビリ率いるアルゼンチン代表は、前回のアップセットが決して偶然ではなかったことを証明します。
準決勝でアメリカ代表に競り勝ち、そのまま金メダルを獲得し、ジノビリは大会MVPに輝きました。
小よく大を制すではないですが、アルゼンチン代表のたくましさとジノビリの勇姿は、深く心に刻まれました。
ポポちゃんのコメントも入ったトリビュートビデオ
ベスト20のプレーを集めた動画
ゲームウィナーだけを集めた動画
ボールフェイクだけを集めた動画
ベスト20のアシストを集めた動画
はぁ〜、いっぱいありすぎて動画が選べません(笑)
これを見て改めて思いますが、常人には真似できない天才的なプレーが多いですね〜
アシストやボールフェイクなんかには、特にそれを感じます。
それとアクロバティックなレイアップも、何がどうなってるんだかという感じです。
相手の一歩先を読んだパスカットなども多く、昔はよくそれでスティールを狙いにいってはポポちゃんに怒られてたそうです。
でもたぶんコートビジョンが良すぎて、相手の次の動きを他の人よりも早く察知できるんでしょうね。
ただまあ、組織プレーを重んじるポポちゃんと自由なひらめきでプレーするジノビリは、対極のプレースタイルと言ってもいいので、最初の頃はいろいろとぶつかっていたようです。
ある時ジノビリが、アウト・オブ・バウンズからファストブレイクを狙ったロングパスを出した時、チームを集めたビデオミーティングで、「こういうリスクの高いプレーは二度とするな」と伝えたそうです。
すると次のゲームで同様のシチュエーションになった時、ジノビリはまた禁止されたロングパスを出そうとしました。
でも今度はパスフェイクのように出す真似をして腕を引っ込め、ベンチに向かってニヤっと笑ったそうです。
ベンチは大ウケで大爆笑でした。
またある時は、シーズン前の9月にピックアップゲームをしていた時、ジノビリがルーズボールを追って相手3人の中に飛び込んでいき、ボールを奪い取って得点につなげたそうです。
ポポちゃんは即座にゲームを止め、周りの選手に「勝つためにはこれぐらいハードにプレーしなきゃダメだ」と言いました。
そしてジノビリの方に振り返ってこう言いました。
「今は9月だぞ! なに考えてんだ。二度と9月にそんなマネをするな!」
大事な主力選手なんだから、開幕前のただの調整期間にケガのリスクがあるようなプレーをするな、ということですね。
でもまあ、練習だろうが調整だろうが決して手を抜かずに全力でプレーするのが、彼のスタイルなんですよね。
最初はよく衝突し、ひそかに「彼は私の手に負えないかもしれない」とこぼしていたポポちゃんも、最終的にはジノビリの能力を認め、ある程度自由にプレーさせた方がチームにとってプラスに働くかもしれない、と考え方を軟化させたそうです。
そうして、常勝スパーズのBIG3が形成されていきました。
思い出を語るとキリがないので、この辺にしておきます。
最後に引退発表後、初めてマスコミの取材に応じた時のひとコマを。
引退する意思を家族に伝えた時、3人いるお子さんの長男ニコ君が、「パパ、引退しないで」と言ったそうです。
「どうして?」と理由を尋ねると、意外な答えが返ってきたそうです。
「だって、ファミリールームのチキンテンダーがすごく美味しいんだもん」
スパーズの選手の家族用に用意された部屋で出されるチキンが、とってもお気に入りだったようです。
記者たちも大笑いしていました。
あぁ・・・・寂しいな。。
スコーラとジノビリ
アルゼンチン代表の盟友でした
この5番のジャージーに憧れました
NBA優勝の時にアルゼンチン国旗を羽織る姿が好きでした